教授メッセージ

教授ごあいさつ

 2003年、ヒトゲノムプロジェクト (HGP) 終結宣言が発表され、ヒトの設計図である全ての遺伝子情報が明らかになりました。この計画が企図された1980年代は、遺伝子情報が全て解明されれば生命現象も大方理解出来ると信じられていたユートピア的な時代でした。確かに、これまで遺伝子、蛋白質に焦点を当てた要素還元主義的な分析手法を用いる事で生命現象の多くの部分が科学的に説明可能なものとなりました。一方で、この解析手法に馴染まない相当な領域がこれからの研究課題として残されています。例えば脳の高次機能の解明はその代表であるということが出来るでしょう。これらは宝の山である事は確かですが、そこに金鉱を見いだす為には方法論のbreakthroughが求められている事は改めていう迄もありません。本講座では従来の方法論を用いながらも、新たな方法論を他の研究室と共同開発し模索しつつ、これらの問題を解き明かしていきたいと考え、研究を進めています。

 本講座は2006年1月より2代目教授の竹田扇が着任してスタートしました。解剖学講座細胞生物学教室という名称が語る様に、旧来からの医学部解剖学講座がベースになっており医学科での教育は解剖学実習に代表される様な古典的肉眼解剖学を担当しています。肉眼解剖学教育は、御遺体を用いて医学生に人体の構造を理解させるものであり、一見現在の生命科学研究とはかなりかけ離れた分野である印象を与えます。しかしながら、肉眼解剖学で用いられる方法論は「分析し易いところまで細かく切り刻む」という意味に於いて正統派の要素還元主義的手法を用いています。一方で、全体の中での位置付け (トポグラフィー) を総合的に捉えるという視座も同時に内包しており、この様な意味で研究と直接の接点を持ったり、肉眼解剖学的視座が研究に直接役立ったりする事がしばしあります。

 私たちは細胞小器官の一つである「線毛」の分子細胞生物学を中心テーマに据えて研究を行なっています。線毛は古い様で新しい概念であり、一般には気管支の上皮細胞の線毛や精子の鞭毛がよく知られているところですが、1998年、これらの線毛とは微細構造が異なる別のタイプの線毛 (一次線毛) が回転運動をすることでマウスの体の左右を決めている事が明らかにされました。東京大学医学部の廣川信隆教授のグループが報告した、「神経細胞に多く発現されているモーター蛋白質の遺伝子をマウスでノックアウトすると、左右の決定がランダムになり心臓の形態などに異常がみられた」という発見です。当時、私はグループの一員としてこの研究に参加しており、この様なミクロな構造の異常がボディプランの異常というマクロな異常として現れる事に、生命現象の精緻さを感じたものです。同時にこのような発見は先に述べた肉眼解剖学的視座があってこそなし得たものであり、形態を総合的に観察することの重要性を再認識させられました。

 さて、現在の行なっている研究は (1) 一次線毛の構造と機能に関する分子細胞生物学、(2) 新しいイオン化法を用いた研究・診断装置の開発、に大きく分けられます。一次線毛の研究は10年以上前に廣川研で行なった研究にその端を発していますが、本講座での研究は一次線毛を細胞の感覚受容装置として捉え、そこからの情報が細胞機能を修飾しているという独自の視点で研究を進めています。線毛関連分子の異常は精神・神経疾患を含む実に多彩な疾患像を呈する事が近年次々に明らかになっています。しかしながら、その病態メカニズムは依然として解明されておらず、多くは謎のままです。また、一次線毛はからだの殆ど全ての細胞に存在する事が知られており、その生理的機能もごく一部が解明されているに過ぎません。従って、今後様々な展開が期待出来る大変発展性のある研究領域の一つであると考えられます。

  新しいイオン化法を用いた研究・診断装置の開発は本学クリーンエネルギー研究センターの平岡賢三教授との共同研究に依るものです。ここでは生きたままの生体から採取した試料を、前処理をせずに分析する事を目指しており、現在生きたマウスからの測定に成功しています。更に、今後細胞レベルでの測定を可能とし、要素還元をしない状態で生体分子の振舞いを観測することを目標として研究を進めています。またこの方法論をがん診断に応用する方向で、早稲田大学理工学術院の田邉國士教授、(株) 島津製作所と共に共同開発を行っており、近い将来臨床現場で簡単にかつ非侵襲的にがん診断を行うことが可能になると考えています。

 この様な研究内容や教室の特色に興味を持たれた方は遠慮なく研究室の扉を叩いて下さい。私たちの研究室はライフサイエンス特進コースを選択している医学科の学生を入れても10名程度の小規模な研究室ですが、自由闊達な雰囲気で活発な研究が展開されています。また早稲田大学、東京大学、広島大学などとの共同研究も活発に展開されており、学外との積極的な交流があります。若い野心的な諸君の参加を期待しています。


解剖学講座細胞生物学教室 教授
竹田 扇